
鳥山石燕の妖怪画(『今昔画図続百鬼』)には解説文が書かれているので、原文と現代語訳もちゃんと載せますよヾ(๑╹◡╹)ノ"
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『怪物画本《かいぶつえほん》』「葵の上」[明治十四(一八八一)年刊、李冠光賢《りかんみつかた》画、鍋田玉英《なべたぎょくえい》模写]
『今昔画図続百鬼』巻一「般若」[安永八(一七七九)年刊、鳥山石燕作画]
※画像の調整、赤字の書入れは筆者。
【原文】【現代語訳】
【解説】
『怪物画本』の実質的な作者の鍋田玉英は、明治期にはそれなりに名の知れた絵師であったようですが、『怪物画本』は鍋田玉英の最初期の作品のようで、実際、『怪物画本』以前の鍋田玉英の作品は、今の所見当たりません。
---------------【原文】【現代語訳】
般若《はんにや》
般若《はんにゃ》
般若《はんにゃ》
般若《はんにや》ハ経《きヤう》の名にして、苦海《くかい》を渡る慈航《じかう》とす。
般若はお経の名前で、人々を、苦しみの海(海のように大きな苦しみ)から、悟りの彼岸へと渡す、慈悲深い船のようなものです。
般若はお経の名前で、人々を、苦しみの海(海のように大きな苦しみ)から、悟りの彼岸へと渡す、慈悲深い船のようなものです。
然るに、妬《ねた》める女の鬼《おに》と成《な》りしを、般若面《はんにヤめん》と言ふ事ハ、
それなのに、嫉妬《しっと》深い女が鬼となった姿(を現した能面)を、般若面《はんにゃめん》というのは、
葵《あふひ》の上《うへ》の謡《うたひ》に、六条御息所《ろくでうのミやすどころ》の怨灵《おんりやう》、行者《ぎヤうじヤ》の経《きヤう》を讀誦《どくじゆ》するを聞ゝて、「あら恐ろしの般若聲《はんにやごゑ》や」と言へるより轉《てん》じて、斯《か》くハ称《セう》セしにや。
『葵《あおい》の上』の謡《うたい》[謡曲《ようきょく》(能の脚本)]で、六条御息所《ろくじょうのみやすどころ》の怨霊《おんりょう》が、行者《ぎょうじゃ》がお経を読むのを聞いて、「ああ、恐ろしい般若声《はんにゃごえ》(般若経を読む声)だ」と言ったのが元となって、鬼女《きじょ》の事を般若と言うようになったようです。それなのに、嫉妬《しっと》深い女が鬼となった姿(を現した能面)を、般若面《はんにゃめん》というのは、
葵《あふひ》の上《うへ》の謡《うたひ》に、六条御息所《ろくでうのミやすどころ》の怨灵《おんりやう》、行者《ぎヤうじヤ》の経《きヤう》を讀誦《どくじゆ》するを聞ゝて、「あら恐ろしの般若聲《はんにやごゑ》や」と言へるより轉《てん》じて、斯《か》くハ称《セう》セしにや。

『怪物画本』と石燕の比較、もう改めて言うこともありませんヾ(๑╹◡╹)ノ"
『怪物画本』は李冠光賢《りかんみつかた》が描いた絵を鍋田玉英《なべたぎょくえい》が模写したという事になっていますが、李冠光賢という絵師、この作品以外の作品がどうも見つからないんですよねえ。
おそらく、李冠光賢《りかんみつかた》は、実在しない架空の人物名なのではないかと、
よくよく考えてみると、「李冠《りかん》」は「李下に冠を正さず」ということわざから取ったと思われ、「疑わしい事はしない方が良い」という意味です。
また、「光賢《みつかた》」は漢字を変えると「見つかった」になります。
つまり、「パクリがバレちゃった」という意味の駄洒落なのではないかとヾ(๑╹◡╹)ノ"

なので、画力が劣るのも仕方がないことかと。
こんなパクリ本の仕事、それなりの絵師は受けてくれないから、当時は駆け出しだった鍋田玉英に描かせたのではないのかなと、ふと夢の中で思った次第ですヾ(๑╹◡╹)ノ"
ちなみに、『怪物画本』の成り立ちがやっぱり気になって、『怪物画本』の序文を読んでいる最中なのですが、鍋田玉英に関することなど、興味深い記述があったので、また改めて報告します。
『怪物画本』では般若がなぜか「葵の上」という名になっていますが、謡曲『葵の上』で鬼の姿(般若)になるのは、葵の上ではなく、六条御息所の生霊です。


石燕の解説文に「葵の上」って出てくるから、間違えちゃったんですかね?
謡曲『葵の上』に関しては、以前、少し取り上げたので、ご参照あれ。




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