
鳥山石燕の妖怪画(『今昔百鬼拾遺』)には解説文が書かれているので、原文と現代語訳もちゃんと載せますよヾ(๑╹◡╹)ノ"
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『怪物画本《かいぶつえほん》』「葵の上」[明治十四(一八八一)年刊、李冠光賢《りかんみつかた》画、鍋田玉英《なべたぎょくえい》模写]
『今昔百鬼拾遺』巻三「目競《めくらべ》」[安永十(1780)年刊、鳥山石燕作画]
※画像の調整、赤字の書入れは筆者。
【原文】【現代語訳】
目競《めくらべ》
目競《めくらべ》
目競《めくらべ》
大政入道清盛《だいゼうにうだうきよもり》、或《あ》る夜《よ》の夢《ゆめ》に、髑髏《されかうべ》東西《とうざい》より出て、
太政大臣《だじょうだいじん》平清盛入道《たいらのきよもりにゅうどう》は、ある夜、ドクロがあちこちから出てくる夢を見ました。
初めハ二ツ有りけるが、後《のち》にハ、十、二十、五十、百、千、万、後《のち》にハ、幾千万《いくせんまん》と言ふ数《かず》を知らず。
初めは二つのドクロでしたが、それから、十、二十、五十、百、千、万と増えていき、最後には何千万あるか分からないくらい増えました。
太政大臣《だじょうだいじん》平清盛入道《たいらのきよもりにゅうどう》は、ある夜、ドクロがあちこちから出てくる夢を見ました。
初めハ二ツ有りけるが、後《のち》にハ、十、二十、五十、百、千、万、後《のち》にハ、幾千万《いくせんまん》と言ふ数《かず》を知らず。
初めは二つのドクロでしたが、それから、十、二十、五十、百、千、万と増えていき、最後には何千万あるか分からないくらい増えました。
入道も負けず、是を睨《にら》みけるに、例へば人の目競《めくら》べをする様《やう》也《なり》し由《よし》、平家物語《へいけものがたり》に見えたり。
入道も負けずに、このドクロたちを睨みましたが、まるで人が目競《めくら》(にらめっこ)をしているようだったと、『平家物語』[『平家物語 長門本』巻九]に書いてあります。 
まあ、石燕と玉英の画力の差は、もう言うまでもなく、『怪物画本』ではドクロの黒目すら描かれていません。。。

なんで石燕の「目競《めくらべ》」が『怪物画本』では「大仏怪物《だいぶつかいぶつ》」なんて名前に改変されてるんでしょう???
清盛の南都焼討《なんとやきうち》によって、東大寺の大仏が焼失しているので、それを踏まえたんですかね?





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