
鳥山石燕の妖怪画(『今昔百鬼拾遺』)には解説文が書かれているので、原文と現代語訳もちゃんと載せますよヾ(๑╹◡╹)ノ"
当ブログは広告・PR・アフィリエイト等を含みます。

はてなブックマークもできるので、どうぞご活用ください。
はてなブログの方で、「ライブドアブログでも、はてなブックマークできます」というようなことを書いたら、なぜか怒られてしまったのですが、ここは、はてなの勢力範囲外なんで大丈夫ですよね?ヾ(๑╹◡╹)



『怪物画本《かいぶつえほん》』「笑ひ女」[明治十四(一八八一)年刊、李冠光賢《りかんみつかた》画、鍋田玉英《なべたぎょくえい》模写]
『今昔百鬼拾遺』[安永十(1780)年刊、鳥山石燕作画]巻一「倩兮女」
※画像の調整、赤字の書入れは筆者。
【原文】【現代語訳】
【解説】
ケラケラ女は、石燕より先に出版された思われる、富川房信(吟雪)画『平家化物退治』ですでに描かれており、
【原文】【現代語訳】
倩兮女《けら/\)おんな》
倩兮女《けらけらおんな》
倩兮女《けらけらおんな》
楚《そ》の国《くに》宋玉《さうぎよく》が東鄰《ひがしどなり》に美女《びぢよ》有り。
楚《そ》の国[中国の古代王朝]の宋玉《そうぎょく》[文学者]の東隣に美女が住んでいました。
楚《そ》の国[中国の古代王朝]の宋玉《そうぎょく》[文学者]の東隣に美女が住んでいました。
墻《かき》に上りて宋玉《さうぎよく》を窺《うかゞ》ふ。
その美女は、垣根に上って、宋玉の様子をのぞいて見ました。
その美女は、垣根に上って、宋玉の様子をのぞいて見ました。
嫣然《ゑんぜん》として、一度《ひとたび》笑《わら》へば、陽城《ヤうじやう》の人を惑《まど》ハセしとぞ。
その美女が、ひとたび色っぽく笑うと、陽城《ようじょう》[地名]中の人を惑わしたという事です。
[以上、宋玉『登徒子好色の賦』による]
その美女が、ひとたび色っぽく笑うと、陽城《ようじょう》[地名]中の人を惑わしたという事です。
[以上、宋玉『登徒子好色の賦』による]
凡《およ》そ美色《びしよく》の人情《にんゼう》を盪《とら》かす事、古今《ここん》に例《ためし》多《おほ》し。
そもそも、美人(美女)が人(男)の心を惑わして、メロメロにすることは、今も昔も多くの例があります。
そもそも、美人(美女)が人(男)の心を惑わして、メロメロにすることは、今も昔も多くの例があります。
倩兮女《けら/\)おんな》も、朱唇《しゆしん》を翻《ひるが》へして、多《おほ》くの人を惑はせし、淫婦《いんぷ》の灵《れい》成《な》らん歟《か》。
倩兮女も、赤い唇を開けて笑い、多くの人を惑わした、淫《みだ》らな女[遊女の事を指すか]の霊なのでしょうか。

ケラケラ女、結構、印象に残るネーミングですが、『怪物画本』では、なぜか、「笑い女」とありふれた名前に変更されています。
挿絵は、垣根の上からのぞく、巨大なケラケラ女が描かれていますが、これまた、石燕の方が着物の柄などが緻密に描かれています。

(「女の首、けら/\笑ひするぞ、物凄《ものすご》し」)
※権利面の問題で、ここには画像を載せることができないので、リンク先でご確認ください。
以前、本館で紹介した『赤本再興《あかほんさいこう》〇花咲き爺《じじ》』[式亭三馬補綴、歌川国丸画、文化九(一八一二)年刊]にも同様のケラケラ女が描かれています。
富川房信らのケラケラ女は、大きな頭だけの妖怪である大首をベースとして描かれているのに対し、石燕は宋玉の隣人をベースにした姿で描いています。
全く別の姿であり、富川房信らは妖怪の名前をケラケラ女とは明記していないので、石燕のケラケラ女と関連があるのかは不確定です。
全く別の姿であり、富川房信らは妖怪の名前をケラケラ女とは明記していないので、石燕のケラケラ女と関連があるのかは不確定です。
---------------






◆北見花芽のほしい物リストです♪
プライバシポリシー及びメールフォーム

にほんブログ村