
鳥山石燕の妖怪画(『今昔画図続百鬼』)には解説文が書かれているので、原文と現代語訳もちゃんと載せますよヾ(๑╹◡╹)ノ"
当ブログは広告・PR・アフィリエイト等を含みます。



『怪物画本《かいぶつえほん》』「守屋靈《もりやのれい》 寺突《てらつゝ》き」[明治十四(一八八一)年刊、李冠光賢《りかんみつかた》画、鍋田玉英《なべたぎょくえい》模写]
『今昔画図続百鬼』巻一「寺《てら》突《つゝ》き」[安永八(一七七九)年刊、鳥山石燕作画]
※画像の調整、赤字の書入れは筆者。
【原文】【現代語訳】
酒顚童子《しゆてんどうじ》
酒顚童子《しゅてんどうじ》
大江山《おほえやま》生野《いくの》の道に行《ゆ》き交《か》ふ人の財宝《ざいほう》を掠《かす》め取りて、積《つ》ミ貯《たくハ》ふる事、山の如し。
酒顚童子は、大江山を越えて、生野から丹後に向かう道を、行き来する人の金品を奪い取って、山のように積んで貯えていました。
酒顚童子は、大江山を越えて、生野から丹後に向かう道を、行き来する人の金品を奪い取って、山のように積んで貯えていました。
輟耕録《てつこうろく》に所謂《いハゆる》、鬼贓《きざう》の類なり。
『輟耕録《てっこうろく》』[中国の随筆。一三六六年序、陶宗儀《とうそうぎ》作]に書かれている「鬼贓《きぞう》」[猿の妖怪が持っていた財宝の話]のようなものです。
むくつけき鬼《おに》の肘《かいな》を枕《まくら》とし、見目好《ミめよ》き女に酌《しやく》取らせ、自《ミづか》ら大盃《おほさかづき》を傾《かた》ぶけて楽《たの》しめり。
『輟耕録《てっこうろく》』[中国の随筆。一三六六年序、陶宗儀《とうそうぎ》作]に書かれている「鬼贓《きぞう》」[猿の妖怪が持っていた財宝の話]のようなものです。
むくつけき鬼《おに》の肘《かいな》を枕《まくら》とし、見目好《ミめよ》き女に酌《しやく》取らせ、自《ミづか》ら大盃《おほさかづき》を傾《かた》ぶけて楽《たの》しめり。
恐ろしい鬼の腕を枕にし、美しい女に酌《しゃく》をさせ、酒顚童子は大盃で酒を飲んで楽しみました。
然《さ》れど、童髪《わらハがミ》に緋《ひ》の袴《はかま》着たるこそ、優しき鬼《おに》の心なれ。
しかし、子供の髪型をして、緋色《ひいろ》の袴《はかま》を着ているのは、この鬼(酒顚童子)が実は優しい心を持っているという事です。
末世《まつセ》に及んで、白衣《びやくゑ》の化物《ばけもの》出《いづ》ると、聖教《セうげう》にも侍るをや。
なにしろ、末世《まっせ》[仏教が衰えた世の中]になると、緋色などではなく、白い着物の化け物が出ると、聖人の教えにもありますから。

これもほぼ同じ絵が描かれていますが、着物の柄が全く違いますね。
鬼の腕と言うか、鬼そのものにもたれかかる酒呑童子と、酒を注ぐ大きな銚子《ちょうし》を持った女性が描かれています。
比べると、やはり石燕の方が圧倒的に画力が上ですね。
カラーであるという点だけが『怪物画本』のアピールポイントなのですが、酒呑童子の肌の色と袖口の色が全く同じで、同化してしまっているのは、どうかと。
末世に現れるという白衣の化物については、よく分からないのですが、僧が黒衣なので、それに相反する存在ということなのでしょうか?




◆北見花芽のほしい物リストです♪
プライバシポリシー及びメールフォーム

にほんブログ村