浮き憂き江戸文学♪

江戸時代の作品を崩し字と共に分かりやすく紹介します♪

2024年06月

[7]大仏怪物??? 目競??? ~『怪物画本』VS 鳥山石燕~

haname 今回の「『怪物画本』VS 鳥山石燕」は、「目競」対決ですヾ(๑╹◡╹)ノ"

 鳥山石燕の妖怪画(『今昔百鬼拾遺』)には解説文が書かれているので、原文現代語訳もちゃんと載せますよヾ(๑╹◡╹)ノ"

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05_02めくらべ

めくらべ+

『怪物画本《かいぶつえほん》』「葵の上」[明治十四(一八八一)年刊、李冠光賢《りかんみつかた》画、鍋田玉英《なべたぎょくえい》模写]



『今昔百鬼拾遺』巻三「目競《めくらべ》」[安永十(1780)年刊、鳥山石燕作画]


※画像の調整、赤字の書入れは筆者。



【原文】
【現代語訳】

   
   目競《めくらべ》
   目競《めくらべ》 

 大政入道清盛《だいゼうにうだうきよもり》、或《あ》る夜《よ》の夢《ゆめ》に、髑髏《されかうべ》東西《とうざい》より出て、
 太政大臣《だじょうだいじん》平清盛入道《たいらのきよもりにゅうどう》は、ある夜、ドクロあちこちから出てくる見ました。

 初めハ二ツ有りけるが、後《のち》にハ、十、二十、五十、百、千、万、後《のち》にハ、幾千万《いくせんまん》と言ふ数《かず》を知らず。
 初め二つのドクロでしたが、それから、十、二十、五十、百、千、万増えていき、最後には何千万あるか分からないくらい増えました。

 入道も負けず、是を睨《にら》みけるに、例へば人の目競《めくら》べをする様《やう》也《なり》し由《よし》、平家物語《へいけものがたり》に見えたり。
 入道負けずに、このドクロたち睨みましたが、まるで目競《めくら》(にらめっこ)しているようだったと、『平家物語』[『平家物語 長門本』巻九]書いてあります。 


haname【解説】

 まあ、石燕玉英画力の差は、もう言うまでもなく、『怪物画本』ではドクロ黒目すら描かれていません。。。

haname「目競《めくらべ》」「にらめっこ」意味します。

 なんで石燕「目競《めくらべ》」『怪物画本』では「大仏怪物《だいぶつかいぶつ》」なんて名前改変されてるんでしょう???

 清盛南都焼討《なんとやきうち》によって、東大寺の大仏焼失しているので、それを踏まえたんですかね?

haname ちなみに、『平家物語 長門本』によると、清盛ドクロ目競(にらめっこ)のようになったあと、ドクロ一斉笑って消え清盛さめたそうです。


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三つ目アイコン にらめっこしよ三つ目ヾ(๑╹◡╹)ノ"

haname 殴りっこならしてもいいよ、もちろん一方的にだけど北見ヾ(๑╹◡╹)ノ"



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鳥山 石燕
国書刊行会
1992-12-01




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[8]「般若」対決! ~『怪物画本』VS 鳥山石燕~

haname 今回「『怪物画本』VS 鳥山石燕」は、「般若」対決ですヾ(๑╹◡╹)ノ"

 鳥山石燕の妖怪画(『今昔画図続百鬼』)には解説文が書かれているので、原文現代語訳もちゃんと載せますよヾ(๑╹◡╹)ノ"

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Konjakuzokuhyak1Tori_0019+

『怪物画本《かいぶつえほん》』「葵の上」[明治十四(一八八一)年刊、李冠光賢《りかんみつかた》画、鍋田玉英《なべたぎょくえい》模写]



『今昔画図続百鬼』巻一「般若」[安永八(一七七九)年刊、鳥山石燕作画]

※画像の調整、赤字の書入れは筆者。


【原文】
【現代語訳】

   
   般若《はんにや》
   般若《はんにゃ》

 般若《はんにや》ハ経《きヤう》の名にして、苦海《くかい》を渡る慈航《じかう》とす。
 般若お経名前で、人々を、苦しみの海(海のように大きな苦しみ)から、悟りの彼岸へと渡す慈悲深い船のようなものです。

 然るに、妬《ねた》める女の鬼《おに》と成《な》りしを、般若面《はんにヤめん》と言ふ事ハ、
 それなのに、嫉妬《しっと》深い女鬼となった姿(を現した能面)を、般若面《はんにゃめん》というのは、

 葵《あふひ》の上《うへ》の謡《うたひ》に、六条御息所《ろくでうのミやすどころ》の怨灵《おんりやう》、行者《ぎヤうじヤ》の経《きヤう》を讀誦《どくじゆ》するを聞ゝて、「あら恐ろしの般若聲《はんにやごゑ》や」と言へるより轉《てん》じて、斯《か》くハ称《セう》セしにや。
『葵《あおい》の上』の謡《うたい》[謡曲《ようきょく》(能の脚本)]で、六条御息所《ろくじょうのみやすどころ》の怨霊《おんりょう》が、行者《ぎょうじゃ》お経読むのを聞いて、「ああ、恐ろしい般若声《はんにゃごえ》(般若経を読む声)だ」と言ったのがとなって、鬼女《きじょ》の事を般若言うようになったようです。


haname【解説】

『怪物画本』石燕比較、もう改めて言うことありませんヾ(๑╹◡╹)ノ"
『怪物画本』李冠光賢《りかんみつかた》描いた絵鍋田玉英《なべたぎょくえい》模写したという事になっていますが、李冠光賢という絵師この作品以外の作品がどうも見つからないんですよねえ。
 おそらく、李冠光賢《りかんみつかた》は、実在しない架空の人物名なのではないかと、
 よくよく考えてみると、「李冠《りかん》」「李下に冠を正さず」ということわざから取ったと思われ、「疑わしい事はしない方が良い」という意味です。
 また、「光賢《みつかた》」漢字変える「見つかった」になります。
 つまり、「パクリがバレちゃった」という意味駄洒落なのではないかとヾ(๑╹◡╹)ノ"

haname『怪物画本』実質的な作者鍋田玉英は、明治期にはそれなりに名の知れた絵師であったようですが、『怪物画本』鍋田玉英最初期の作品のようで、実際、『怪物画本』以前鍋田玉英の作品は、今の所見当たりません。
 なので、画力が劣るのも仕方がないことかと。
 こんなパクリ本仕事それなりの絵師受けてくれないから、当時駆け出しだった鍋田玉英描かせたのではないのかなと、ふと夢の中思った次第ですヾ(๑╹◡╹)ノ"

haname ちなみに、『怪物画本』の成り立ちがやっぱり気になって『怪物画本』の序文読んでいる最中なのですが、鍋田玉英関することなど、興味深い記述があったので、また改めて報告します。

haname 『怪物画本』では般若がなぜか「葵の上」というになっていますが、謡曲『葵の上』鬼の姿(般若)になるのは、葵の上ではなく、六条御息所生霊です。
 石燕の解説文「葵の上」って出てくるから、間違えちゃったんですかね?
 謡曲『葵の上』関しては、以前、少し取り上げたので、ご参照あれ。


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三つ目アイコン 「はんにゃ」って、はに丸がよく言ってたよね三つ目ヾ(๑╹◡╹)ノ"

haname はに丸言ってたのは、「はにゃ」だよ北見ヾ(๑╹◡╹)ノ"



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[6]「ケラケラ女」対決! ~『怪物画本』VS 鳥山石燕~

haname 今回「『怪物画本』VS 鳥山石燕」は、「ケラケラ女」対決ですヾ(๑╹◡╹)ノ"

 鳥山石燕の妖怪画(『今昔百鬼拾遺』)には解説文が書かれているので、原文現代語訳もちゃんと載せますよヾ(๑╹◡╹)ノ"

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HyakkishuYiV1Tori_0025+

『怪物画本《かいぶつえほん》』「笑ひ女」[明治十四(一八八一)年刊、李冠光賢《りかんみつかた》画、鍋田玉英《なべたぎょくえい》模写]



『今昔百鬼拾遺』[安永十(1780)年刊、鳥山石燕作画]巻一「倩兮女」



※画像の調整、赤字の書入れは筆者。


【原文】
【現代語訳】

   倩兮女《けら/\)おんな》
   倩兮女《けらけらおんな》

 楚《そ》の国《くに》宋玉《さうぎよく》が東鄰《ひがしどなり》に美女《びぢよ》有り。
 楚《そ》の国[中国の古代王朝]宋玉《そうぎょく》[文学者]東隣美女住んでいました。

 墻《かき》に上りて宋玉《さうぎよく》を窺《うかゞ》ふ。
 その美女は、垣根上って宋玉の様子のぞいて見ました。

 嫣然《ゑんぜん》として、一度《ひとたび》笑《わら》へば、陽城《ヤうじやう》の人を惑《まど》ハセしとぞ。
 その美女が、ひとたび色っぽく笑うと、陽城《ようじょう》[地名]中の人惑わしたという事です。
[以上、宋玉『登徒子好色の賦』による]

 凡《およ》そ美色《びしよく》の人情《にんゼう》を盪《とら》かす事、古今《ここん》に例《ためし》多《おほ》し。
 そもそも、美人(美女)人(男)の心惑わして、メロメロにすることは、今も昔も多くの例があります。

 倩兮女《けら/\)おんな》も、朱唇《しゆしん》を翻《ひるが》へして、多《おほ》くの人を惑はせし、淫婦《いんぷ》の灵《れい》成《な》らん歟《か》。
 倩兮女も、赤い唇開けて笑い、多くの人惑わした、淫《みだ》らな女[遊女の事を指すか]の霊なのでしょうか。


haname【解説】

 ケラケラ女、結構、印象に残るネーミングですが、『怪物画本』では、なぜか、「笑い女」ありふれた名前変更されています。

 挿絵は、垣根の上からのぞく巨大なケラケラ女描かれていますが、これまた、石燕の方が着物の柄など緻密描かれています。

haname ケラケラ女は、石燕より出版された思われる、富川房信(吟雪)画『平家化物退治』ですでに描かれており、
(「女の首、けら/\笑ひするぞ、物凄《ものすご》し」)

※権利面の問題で、ここには画像を載せることができないので、リンク先でご確認ください。

 以前、本館紹介した『赤本再興《あかほんさいこう》〇花咲き爺《じじ》』[式亭三馬補綴、歌川国丸画、文化九(一八一二)年刊]にも同様ケラケラ女描かれています。
(「大なる女の首、けら/\/\と笑ふ」)hanasakajiji


 富川房信らケラケラ女は、大きな頭だけの妖怪である大首ベースとして描かれているのに対し、石燕宋玉の隣人ベースにした姿描いています。

 全く別の姿であり、富川房信ら妖怪の名前ケラケラ女とは明記していないので、石燕ケラケラ女関連があるのかは不確定です。

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haname 三つ目ケラケラ男だよな北見ヾ(๑╹◡╹)ノ"

三つ目アイコン え?笑顔がハンサムだってこと?三つ目ヾ(๑╹◡╹)ノ"

haname いや、財布オケラだから北見ヾ(๑╹◡╹)ノ"



画図百鬼夜行
鳥山 石燕
国書刊行会
1992-12-01




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北見花芽

文学やったり音楽やったり美学を貫いたりしてる自由人です♪
一応、それなりに江戸文学の専門的な研究をして、それなりの学位を取得していますヾ(๑╹◡╹)ノ"

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