今回は、お化けの定番、骸骨《がいこつ》ですヾ(๑╹◡╹)ノ"
野原とかに白骨が転がっていることは、当時は珍しくなかったので、骸骨は今より身近な存在でした。
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狂歌百鬼夜興
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『狂歌百鬼夜興《きょうかひゃっきやきょう》』[天保元(1830)年刊、菊廻屋真恵美《きくのやまえみ》編、青洋《せいよう》画、虎岳《こがく》画]
大阪公立大学中百舌鳥図書館所蔵(CC BY)国書データベース
※カラーの画像は、こちらでご覧になれます。国書データベース
※以下、赤字の書入れは筆者。
【原文】
▢曝《さ》れ頭《かうべ》 真猿《まさる》
仇《あだ》なりと 磐余《いはれ》[「謂《いは》れ」と掛かっているか]の野邊の 曝《さ》れ骨《ぼね》は 誰《た》が古《いにしへ》の 花の面影
【現代語訳】
▢曝《さ》れ頭《こうべ》[髑髏] by 真猿《まさる》
磐余《いわれ》[奈良県桜井市の古地名]の野辺に転がる白骨は、恨みを残して亡くなったのか? いったい誰のものなのか? もう昔のことなので、今となっては、同じ場所に咲く花だけが知っているのです。
【解説】
このページの挿絵は遊郭をモチーフにしているので、曝《さ》れ頭《こうべ》は、遊女の荷物を持ってお供をする、下男として描かれています。
曝《さ》れ頭《こうべ》[髑髏]は正確には頭蓋骨のことを意味するのですが、絵では全身の骸骨が描かれており、狂歌でも白骨を意味する「曝《さ》れ骨《ぼね》」と書かれています。
狂歌百鬼夜狂
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『狂歌百鬼夜狂《きょうかひゃっきやきょう》』[天明五(1785)年刊、平秩東作《へづつとうさく》編]狂歌百鬼夜狂 / へつゝ東作 [編]
【原文】
骸骨 東作《とうさく》
髑髏《しやれかうべ》 鳥の穿《ほじく》る 跡見れば 何事置いても 南無阿弥陀仏
【現代語訳】
骸骨《がいこつ》 by平秩東作《へづつとうさく》
鳥が肉をほじくった跡があるシャレコウベ[ドクロ、頭蓋骨]を見ると、とりあえず、「南無阿弥陀仏」と手を合わせます。
【解説】
この狂歌からも分かるように、この時代は、そこらに遺体が転がっているのは、珍しくなかったことが分かりますね。
この狂歌からも分かるように、この時代は、そこらに遺体が転がっているのは、珍しくなかったことが分かりますね。
というか、詠まれているのは、妖怪と言うより、遺体についてですよね。。。
平秩東作は、『狂歌百鬼夜狂』の編者です。
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今昔画図続百鬼
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『今昔画図続百鬼』[安永八(一七七九)年刊、鳥山石燕作画]
【解説】【原文】
骸骨《がいこつ》
慶運法師《けいうんほうし》、骸骨《がいこつ》の繪賛《ゑさん》に、
「返し見よ 己が心ハ 何物ぞ 色を見聲を 聞くにつけても」。
【現代語訳】
骸骨《がいこつ》
慶運法師《けいうんほうし》[鎌倉~南北朝]の「骸骨の絵の賛《さん》」に、
「色を見て、声を聞くたびに、自分の心の正体は何なのか、考えてごらんなさい」
とあります。
現在は文章しか残っておらず、どのような骸骨の絵に添えられていた文かは分かりませんが、その内容を要約すると、「自分というものを動かす心の正体は何か、それが分かったら、悟りの境地に到れるだろう」ということです。
もちろん、煩悩まみれの私には分からないのですが、骸骨の絵に添えられていたということは、肌肉を取れば、誰もが中身は同じ骸骨と言うことを意味しているのでしょうか?
挿絵は、壺型の棺から骸骨が身を乗り出しています。
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狂歌百物語
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『狂歌百物語《きょうかひゃくものがたり》』三編「骸骨」[嘉永六(一八五三)年刊、天明老人尽語楼《てんめいろうじんじんごろう》編、竜斎正澄《りゅうさいまさずみ》画]
※富山大学附属図書館ヘルン文庫所蔵 富山大学学術情報リポジトリ
【解説】
野原に転がっている骸骨ですかね。
これも妖怪と言うより、遺体なのですが、やはり当時の妖怪の概念が今よりも広かったということでしょうか。
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