今回は、牛車《ぎっしゃ》[公家が乗る、牛に引かせる屋形車]の妖怪、破《や》れ車ですヾ(๑╹◡╹)ノ"
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狂歌百鬼夜興
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『狂歌百鬼夜興《きょうかひゃっきやきょう》』[天保元(1830)年刊、菊廻屋真恵美《きくのやまえみ》編、青洋《せいよう》画、虎岳《こがく》画]
大阪公立大学中百舌鳥図書館所蔵(CC BY)国書データベース
※カラーの画像は、こちらでご覧になれます。国書データベース
※以下、赤字の書入れは筆者。
【原文】
【解説】
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今昔百鬼拾遺
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【原文】
【現代語訳】
【解説】
僕は破れパンツを履いてるよヾ(๑╹◡╹)ノ"
破れ車は「傷《いた》んだ車」と言う意味です。
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狂歌百鬼夜興
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『狂歌百鬼夜興《きょうかひゃっきやきょう》』[天保元(1830)年刊、菊廻屋真恵美《きくのやまえみ》編、青洋《せいよう》画、虎岳《こがく》画]
大阪公立大学中百舌鳥図書館所蔵(CC BY)国書データベース
※カラーの画像は、こちらでご覧になれます。国書データベース
※以下、赤字の書入れは筆者。
【原文】
▢破《や》れ車《ぐるま》
妬《ねた》みには 情けも仇《あだ》に 破《や》れ車《ぐるま》 法《のり》[「乗《の》り」と掛けた]に引かるゝ 心無くして 晋松《しんまつ》
[「情けが仇《あだ》」(慣用句)→「風吹けば 徒《あだ》に破《や》れ行《ゆ》く 芭蕉葉の 有ればと身をも 頼むべきかは」(西行『山家集』)→「破《や》れ車」]
【現代語訳】
▢破《や》れ車《ぐるま》
嫉妬《しっと》する者には、好意をもって接しても、悪意にとらえられてしまいます。
そして、嫉妬した者は、適切な判断ができないまま、嫉妬した相手の所に、仏法の教えに導かれ[「三つの車」という『法華経』の教え]、破《や》れ車[傷んだ牛車《ぎっしゃ》]に乗ってやってくるのです。
【解説】
この狂歌は謡曲[能の脚本]『葵の上』に基づいて詠まれていると思われます。
『葵の上』は『源氏物語』を元にした作品で、車争いで敗れたことを恨んだ六条御息所《ろくじょうのみやすどころ》の怨霊が、葵の上のもとに現れるというお話です。
次のように、『葵の上』には、狂歌と関連するフレーズが出てきます。
「三つの車に法《のり》[「乗《の》り」と掛けた]の道、火宅の内をや出でぬらん」
「夕顔の宿の破《や》れ車、やる方なきこそ悲しけれ」
「人間の不定、芭蕉泡沫の世の習ひ」
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今昔百鬼拾遺
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『今昔百鬼拾遺』[安永十(1780)年刊、鳥山石燕作画]
【原文】
朧車《おぼろぐるま》
昔、賀茂《かも》の大路《おほぢ》を朧夜《おぼろよ》に車《くるま》の軋《きし》る音しける。
出て見れば、異形《いぎやう》の者也。
車爭《くるまあらそ》ひの遺恨《いこん》にや。
【現代語訳】
朧車《おぼろぐるま》
昔、賀茂《かも》[京都]の大通りで、朧月夜《おぼろづきよ》に牛車《ぎっしゃ》がギシギシする音が聞こえました。
家を出て見てみると、そこにはヘンテコな姿の者がいました。
車争いの恨みが生み出した妖怪でしょうか。
【解説】
先行の鳥山石燕の妖怪画集では「朧車《おぼろぐるま》」という名で、この妖怪が描かれています。
「車争い」とは、祭りの時などに、よい場所で見物できるよう、公家が牛車の場所取りを争ったことです。
車争いに敗れたものの恨みが、朧車という妖怪になって現れたということのようです。
車争いといえば、この時代の人は、まず、葵の上と六条御息所の車争いをイメージしたことでしょう。
挿絵で、朧車の線が全て点線で描かれているということは、この妖怪は朧月のように、ぼんやりかすんで見えたということでしょうか。
『狂歌百鬼夜興』ではアレンジされて、『葵の上』で書かれているような破《や》れ車[傷んだ車]に描かれています。
ひょっとしたら、「朧車《おぼろぐるま》」と「オンボロ車」が掛かっているのかもしれませんね。
破れ車も朧車も、人間と牛車が一体化した妖怪に描かれています。
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僕は破れパンツを履いてるよヾ(๑╹◡╹)ノ"
うそつけ、お前はフンドシだろヾ(๑╹◡╹)ノ"
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