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狂歌百鬼夜興
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『狂歌百鬼夜興《きょうかひゃっきやきょう》』[天保元(1830)年刊、菊廻屋真恵美《きくのやまえみ》編、青洋《せいよう》画、虎岳《こがく》画]
大阪公立大学中百舌鳥図書館所蔵(CC BY)国書データベース
【原文】
【解説】
【解説】
『今昔百鬼拾遺』[安永十(1780)年刊、鳥山石燕作画]
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狂歌百鬼夜興
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『狂歌百鬼夜興《きょうかひゃっきやきょう》』[天保元(1830)年刊、菊廻屋真恵美《きくのやまえみ》編、青洋《せいよう》画、虎岳《こがく》画]
大阪公立大学中百舌鳥図書館所蔵(CC BY)国書データベース
※カラーの画像は、こちらでご覧になれます。国書データベース
※以下、赤字の書入れは筆者。【原文】
▢小袖ノ手
朝顔の 模様果無《もようはかな》き 古小袖 つる/\と 細き手を 出《いだ》しけり 自照女《じせうじよ》
【現代語訳】
▢小袖の手
朝から昼の短い時間だけしか咲かない朝顔の模様が、若くして亡くなった元の持ち主の娘を思い起こさせて、見ているだけではかなく[むなしく]感じる古い小袖が、つるつると朝顔の蔓《つる》のような細い手を出します。 by 自照女《じしょうじょ》
【解説】
小袖は江戸時代の女性がスタンダードに着ていた、袖口が細い着物です。
小袖から手が出るのは、亡くなった娘の、この世への未練からか、それとも怨念からなのでしょうか。
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狂歌百鬼夜狂
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狂歌百鬼夜狂
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これだけで終わるのは芸がないので、次に『狂歌百鬼夜興』が、直接コンセプトをパクった先行作品の『狂歌百鬼夜狂』では、小袖の手に対して、どのような狂歌が詠まれていたのか見てみましょう。
なお、『狂歌百鬼夜興』では一部の妖怪に挿絵が描かれていますが、『狂歌百鬼夜狂』には挿絵が全くありません。
『狂歌百鬼夜狂《きょうかひゃっきやきょう》』[天明五(1785)年刊、平秩東作《へづつとうさく》編]狂歌百鬼夜狂 / へつゝ東作 [編]
【原文】
小袖の手 高利刈主
小袖より またも手の出る 虫干しハ 利を恨みたる 質《しち》の文壳《ふみがら》[「質の文殻」は、質流れして紙切れになってしまった質札の事を意味するか]
【現代語訳】
小袖の手 by 高利刈主[「高利借り主」のもじり]
虫干しをするたびに、小袖から手が出るのは、利息を払えずに質流れして小袖を失った、元の持ち主の娘の恨みなのでしょう。
【解説】
小袖から手が出る原因が、元の持ち主の娘の恨みと言うことがハッキリ書かれていますね。
質流れして手元から離れてしまった小袖なので、元の持ち主はまだ生きてるかもしれません。
となると、この小袖の手は生霊と言うことでしょうか。
それはそれで、怖いです。
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今昔百鬼拾遺
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今昔百鬼拾遺
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で、せっかくなので、さらにさかのぼって、『狂歌百鬼夜狂』と『狂歌百鬼夜興』が影響を受けまくっている、鳥山石燕の妖怪絵本での小袖の手を見てみましょう。
妖怪としての小袖の手は、モデルはあるかもしれませんが、おそらく、これが初出です。
『今昔百鬼拾遺』[安永十(1780)年刊、鳥山石燕作画]
※国立国会図書館デジタルコレクション 百鬼夜行拾遺 3巻 [2] - 国立国会図書館デジタルコレクション
【原文】
小袖《こそで》の手《て》
唐詩に「昨日施僧裙帯上《さくじつさうにほどこすくんたいのうへ》、断腸猶繋琵琶絃《だんちヤうすなをびわのいとをかけしことを》」とハ、妓女《うかれめ》の兦《う》セぬるを悼《いた》める詩《し》にして、僧《そう》に供養《くヤう》せし妓女の帯《おび》に猶《なを》琵琶《びわ》糸の繋《か》ゝりて有りしを見て、腸《はらハた》を断ちて悲しめる心也。
全て女ハ果無《はかな》き衣服《いふく》調度《てうど》に心を留《とゞ》めて、亡き跡の小袖より手の出《いで》しを目《ま》の当たり見し人有りと云ふ。
【現代語訳】
小袖の手
唐詩[中国の詩]に、
「昨日《さくじつ》僧《さう》に施《ほどこ》す裙帯《くんたい》の上《うへ》、猶《なを》琵琶《びわ》の絃《いと》を繋《か》けしことを断腸《だんちヤう》す」
とありますが、これはある遊女が亡くなったのを追悼する詩です。
僧に供養させるその遊女の飾り帯に、生前に弾いていた琵琶の交換用の弦が、まだかかっていたのを見て、誰もが腸《はらわた》がちぎれるほど悲しんだ、という気持ちを詠んだ詩です。
全ての女性は、はかない[取るに足らない]衣服や日用品に心を留《とど》めるもので、亡くなったあとでも、生前に着ていた小袖から手を出したのを、目《ま》の当たりに見た人がいるそうです。
【解説】
直接関係のないような、漢詩について述べられていますが、おそらく、この手が出る小袖が、元は遊女の物であったことを暗示していると言われています。
小袖の上にロウソクが置かれていますね。
ひょっとしたら、この絵からイメージして、『狂歌百鬼夜興』では、小袖の手と灯台鬼がセットで描かれたのかもしれません。
ちなみに、「はかなき」という言葉も『狂歌百鬼夜興』と共通してますね。
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狂歌百物語
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狂歌百物語
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こうなったら、もういっちょおまけで、最後に、後発の『狂歌百物語』の小袖の手を見てみましょう。
『狂歌百物語』は全ての妖怪に挿絵が描かれ、『狂歌百鬼夜狂』と『狂歌百鬼夜興』は一妖怪につき一狂歌でしたが、一つの妖怪に何首も狂歌が詠まれている大著です。
なので、とても全ての狂歌を紹介する気力はないので、挿絵だけ参考程度にどうぞ。
『狂歌百物語《きょうかひゃくものがたり》』[嘉永六(1853)年刊、天明老人尽語楼《てんめいろうじんじんごろう》編、竜斎正澄《りゅうさいまさずみ》画]
※富山大学附属図書館ヘルン文庫所蔵 富山大学学術情報リポジトリ
着物の模様が顔になっていて、キャラクターとしては一番面白いですね。
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というわけで、次回以降の『狂歌百鬼夜興』に描かれた妖怪たちも、『狂歌百物語』『狂歌百物語』、鳥山石燕の妖怪画集との比較をしながら、お茶を濁していこうかなとヾ(๑╹◡╹)ノ"
というわけで、次回以降の『狂歌百鬼夜興』に描かれた妖怪たちも、『狂歌百物語』『狂歌百物語』、鳥山石燕の妖怪画集との比較をしながら、お茶を濁していこうかなとヾ(๑╹◡╹)ノ"
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小袖から手は出なくてもいいから、僕の頭から毛が出てくれないかなあ ヾ(๑╹◡╹)ノ"プライバシポリシー及びメールフォーム続きを読む