それでは、続いて、謎の妖怪切禿をどうぞヾ(๑╹◡╹)ノ"
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狂歌百鬼夜興
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『狂歌百鬼夜興《きょうかひゃっきやきょう》』[天保元(1830)年刊、菊廻屋真恵美《きくのやまえみ》編、青洋《せいよう》画、虎岳《こがく》画]
大阪公立大学中百舌鳥図書館所蔵(CC BY)国書データベース
※カラーの画像は、こちらでご覧になれます。国書データベース
※以下、赤字の書入れは筆者。
【原文】
▢切禿《きりかぶろ》
古寺に 然《さ》も美しき 切禿 怖や真《まこと》の 人に為《な》しても 菊廼屋《きくのや》
▢切禿《きりかぶろ》
古寺に、いかにも美しい切禿がいます。妖怪ではなく本当の人だったとしても、怖いったらありゃしない。 by 菊廼屋《きくのや》
【解説】
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狂歌百鬼夜狂
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【原文】
切禿《きりかぶろ》 今田部屋住《いまだへやずみ》
振り向けば 廊下に立ちし 切禿 ひそ/\聲の 死にんすと言ふ
【現代語訳】
切禿《きりかぶろ》 by 今田部屋住《いまだへやずみ》
振り向けば廊下に切禿が立っています。そして、小さくささやく声で「私はもう死んでいますのよ」と言うのです、ゾゾーツ!
【解説】
先行作品の『狂歌百鬼夜狂』でも「切禿」の狂歌が詠まれています。
「死にんす」は遊女言葉なので、ここで詠まれている切禿は遊郭の禿の妖怪だということが分かります。
『狂歌百鬼夜興』の挿絵はこの狂歌をイメージしたんのですかね。
妖怪と言うより幽霊なのですが、この頃、妖怪と幽霊は別物ではなく、幽霊は妖怪の一種として扱われる傾向がありました。
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【原文】
大禿《おほかぶろ》
傳へ聞く、彭祖《はうそ》ハ七百余歳《ななひやくよさい》にして、猶《なほ》、慈童《じどう》と称《セう》す。
是、大禿《おほかぶろ》に非《あら》ずや。
日本にても、那智《なち》、高野《かうや》にハ、頭《かうべ》禿《かぶろ》に、歯《は》豁《あばら》なる大禿《おほかぶろ》有りと云ふ。
然らバ、男禿《おとこかぶろ》ならんか。
【現代語訳】
大禿《おおかぶろ》
伝え聞く所によると、彭祖《ほうそ》[周の穆王《ぼくおう》に愛された少年。菊の露を飲んで不老不死の千人になり、菊慈童と呼ばれる]は、七百数歳になっても、まだ、慈童《じどう》と呼ばれていました[老人の年齢なのに「童」と呼ばれていたということ]。
この慈童こそ、妖怪大禿《おおかぶろ》ではないでしょうか。
日本でも、那智山や高野山には、頭[髪型]は禿《かぶろ》で歯抜けの、大禿《おおかぶろ》というべき者が居ると言います。
ということは、妖怪大禿《おおかぶろ》は、女の禿《かぶろ》ではなく、男の禿《かぶろ》の妖怪と言うことでしょうか。
【解説】
先行作品の鳥山石燕の妖怪画集には、「切禿」という名称ではなく、「大禿」という名称で同様の妖怪が描かれています。
年を取っても子供の姿をしている者を揶揄して、大禿という妖怪扱いにしているということでしょう。
寺院の稚児でも一定の年齢になったら元服するのですが、男色の相手として必要とされ、元服せずに、いつまでも稚児の姿のままで年を重ねる者もいたようです。
大稚児[年長の稚児]や大童子[寺院で召し使われる童子で、上童子と中童子の間の地位の者]とも関連があるのでしょうかね?
挿絵の大禿の着物の模様は菊で、本文にも出てきた菊慈童を表しています。
また、菊はオチリの穴も意味し、男色も示唆《しさ》しています。
『狂歌百鬼夜興』はこの「大禿」をイメージして詠まれていると思われます。
ちなみに、「頭禿に歯豁なる」という一文は、「頭童歯豁《とうどうしかつ》」という四字熟語を踏まえた言い回しです。
「頭童」は子供の坊主頭、「歯豁」は歯抜けの事で、子供の坊主頭のように毛が抜け落ちて、歯が抜けているような老人のことを意味します。
みなさんが最初に思い浮かんだように、もちろん、「禿」にはハゲという意味もあります。
つまり、「頭禿に歯豁なる」という一文を読んだ読者が、
「歯が抜けるほど年取ってるんやったら、髪型は、禿は禿でも、おかっぱじゃなくて、ハゲてるやろ!」
という突っ込みをするのを、石燕さんは、意図していたのでしょうねヾ(๑╹◡╹)ノ"
僕は妖怪三つ目だよ!
誰?僕の事を妖怪大ハゲなんて言うのは!ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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狂歌百鬼夜興
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『狂歌百鬼夜興《きょうかひゃっきやきょう》』[天保元(1830)年刊、菊廻屋真恵美《きくのやまえみ》編、青洋《せいよう》画、虎岳《こがく》画]
大阪公立大学中百舌鳥図書館所蔵(CC BY)国書データベース
※カラーの画像は、こちらでご覧になれます。国書データベース
※以下、赤字の書入れは筆者。
【原文】
▢切禿《きりかぶろ》
古寺に 然《さ》も美しき 切禿 怖や真《まこと》の 人に為《な》しても 菊廼屋《きくのや》
【現代語訳】
▢切禿《きりかぶろ》
古寺に、いかにも美しい切禿がいます。妖怪ではなく本当の人だったとしても、怖いったらありゃしない。 by 菊廼屋《きくのや》
【解説】
「切禿《きりかぶろ》」とは、子供の髪型、いわゆるおかっぱ頭のことで、おかっぱ頭の子供の事も指します。
単に、「禿《かぶろ》[《かむろ》とも]」だけでも、「切禿」と同じ意味で使われ、遊郭で遊女の身の回りをする見習いの幼女のことも指します。
ここで描かれているのは、単なる子供の妖怪ではなく、遊郭の禿の妖怪でしょう。
挿絵では琴を弾いていますね。
禿は遊女になるための修行で、三味線や琴の練習をします。
しかし、挿絵は遊郭の禿なのですが、狂歌は「古寺」に出ると詠まれています。
遊郭の禿が古寺にいるはずがないので、狂歌で読まれているのは、遊郭の禿の妖怪ではないということになります。
挿絵を描いた人と狂歌を詠んだ人は別人なので、両者は別の切禿をイメージしていると思われます。
では、狂歌で詠まれている切禿は何者なのでしょうか?
寺にいる子供と言えば、そう稚児です。
稚児とは剃髪前の少年の修行僧の事で、要は僧侶の男色の相手となる存在でした。
狂歌で詠まれているのは寺の稚児の妖怪ということでしょう。
美しい稚児はそれなりの由緒ある寺にはいるでしょうが、古寺には不釣り合いで、妖怪であっても人間であっても出会ったら恐ろしいでしょうね。
そもそも、子供なのに年上の僧侶たちをメロメロにする、稚児と言う存在自体が恐ろしいですよね。
「禿」という呼称は遊郭の幼女だけではなく、寺の稚児に対しても使われていたのでしょうかね。
現在でも、祇園祭の稚児の家来役の少年が禿《かむろ》と呼ばれるのは、その名残でしょうか。
ちなみに、この狂歌を詠んだ菊廼屋《きくのや》は、『狂歌百鬼夜興』の編者です。
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狂歌百鬼夜狂
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『狂歌百鬼夜狂《きょうかひゃっきやきょう》』[天明五(1785)年刊、平秩東作《へづつとうさく》編]狂歌百鬼夜狂 / へつゝ東作 [編]
【原文】
切禿《きりかぶろ》 今田部屋住《いまだへやずみ》
振り向けば 廊下に立ちし 切禿 ひそ/\聲の 死にんすと言ふ
【現代語訳】
切禿《きりかぶろ》 by 今田部屋住《いまだへやずみ》
振り向けば廊下に切禿が立っています。そして、小さくささやく声で「私はもう死んでいますのよ」と言うのです、ゾゾーツ!
【解説】
先行作品の『狂歌百鬼夜狂』でも「切禿」の狂歌が詠まれています。
「死にんす」は遊女言葉なので、ここで詠まれている切禿は遊郭の禿の妖怪だということが分かります。
『狂歌百鬼夜興』の挿絵はこの狂歌をイメージしたんのですかね。
妖怪と言うより幽霊なのですが、この頃、妖怪と幽霊は別物ではなく、幽霊は妖怪の一種として扱われる傾向がありました。
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今昔画図続百鬼---------------------
『今昔画図続百鬼』[安永八(一七七九)年刊、鳥山石燕作画]
【原文】
大禿《おほかぶろ》
傳へ聞く、彭祖《はうそ》ハ七百余歳《ななひやくよさい》にして、猶《なほ》、慈童《じどう》と称《セう》す。
是、大禿《おほかぶろ》に非《あら》ずや。
日本にても、那智《なち》、高野《かうや》にハ、頭《かうべ》禿《かぶろ》に、歯《は》豁《あばら》なる大禿《おほかぶろ》有りと云ふ。
然らバ、男禿《おとこかぶろ》ならんか。
【現代語訳】
大禿《おおかぶろ》
伝え聞く所によると、彭祖《ほうそ》[周の穆王《ぼくおう》に愛された少年。菊の露を飲んで不老不死の千人になり、菊慈童と呼ばれる]は、七百数歳になっても、まだ、慈童《じどう》と呼ばれていました[老人の年齢なのに「童」と呼ばれていたということ]。
この慈童こそ、妖怪大禿《おおかぶろ》ではないでしょうか。
日本でも、那智山や高野山には、頭[髪型]は禿《かぶろ》で歯抜けの、大禿《おおかぶろ》というべき者が居ると言います。
ということは、妖怪大禿《おおかぶろ》は、女の禿《かぶろ》ではなく、男の禿《かぶろ》の妖怪と言うことでしょうか。
【解説】
先行作品の鳥山石燕の妖怪画集には、「切禿」という名称ではなく、「大禿」という名称で同様の妖怪が描かれています。
年を取っても子供の姿をしている者を揶揄して、大禿という妖怪扱いにしているということでしょう。
寺院の稚児でも一定の年齢になったら元服するのですが、男色の相手として必要とされ、元服せずに、いつまでも稚児の姿のままで年を重ねる者もいたようです。
大稚児[年長の稚児]や大童子[寺院で召し使われる童子で、上童子と中童子の間の地位の者]とも関連があるのでしょうかね?
挿絵の大禿の着物の模様は菊で、本文にも出てきた菊慈童を表しています。
また、菊はオチリの穴も意味し、男色も示唆《しさ》しています。
『狂歌百鬼夜興』はこの「大禿」をイメージして詠まれていると思われます。
ちなみに、「頭禿に歯豁なる」という一文は、「頭童歯豁《とうどうしかつ》」という四字熟語を踏まえた言い回しです。
「頭童」は子供の坊主頭、「歯豁」は歯抜けの事で、子供の坊主頭のように毛が抜け落ちて、歯が抜けているような老人のことを意味します。
みなさんが最初に思い浮かんだように、もちろん、「禿」にはハゲという意味もあります。
つまり、「頭禿に歯豁なる」という一文を読んだ読者が、
「歯が抜けるほど年取ってるんやったら、髪型は、禿は禿でも、おかっぱじゃなくて、ハゲてるやろ!」
という突っ込みをするのを、石燕さんは、意図していたのでしょうねヾ(๑╹◡╹)ノ"
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僕は妖怪三つ目だよ!
誰?僕の事を妖怪大ハゲなんて言うのは!ヾ(๑╹◡╹)ノ"
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